骨折・・・その2 1回目の骨折 part1 [健康 CIDP闘病 リハビリ など]
1回目の骨折 2002年5月5日連休であった。
骨折前の身体の状況(CIDPによる障害等)、行動
・IvIg治療後6か月経過。
・下肢、足首自分で回したり、上下動やりづらく、柔らかめ、ふくらはぎ2/3までの短下肢装具を両足につけていた。
・走ることできず、階段上下手すりなしでの昇降できなかった。
・手の痺れ、握力低下ややある(30kg程度だったか)が字はかけた。テニスラケット、ボールは握れた。
・3日前、門前仲町、深川不動、清澄白河、深川江戸資料館、銀座かつ銀、スターバックス、松屋(地下でおいしいパン購入)、あたりを半日散策。地下鉄、階段手すり使いよじのぼった感じのところ1,2か所、後はエレベーター、タクシーも使い、徒歩は計2km程度。
・前日、家族とフィールドアスレチックや水遊びのできる平和の森公園までサイクリング、往復で8km程度。これが最後のサイクリングとなった。
・会社では実験、研究を離れ、企画、事務等デスクワ-ク。
骨折当日5/5 9:30 a.m.
子供と自宅近所の公園でテニスラケットと十数個のボールを用意し、
私「球出ししてあげるから、ボレーの練習ね、ほら・・・」
・・・ボレーで返されたが少しはずれたのを拾おうと踏み出したつもりが足がもつれたか、あっけなく転倒。
「あっ。」
倒れた瞬間装具の中で「ポキッ」って音がした気がした。
ああ、やっちゃった。
右足首後ろ上あたり激痛。だが、捻挫であってくれ。
折れてずれたらやばいな、装具が添え木代わりになってるから、できるだけ体重右足に掛けない様にラケットを杖替わりにして立ち上がって、と、いててて。
辺りはホームレスのじいさんがぼーっと眺めているだけ。
他荷物は子供に持ってもらい、携帯で妻にも出迎えてもらう。
祭日なので、車で10分のTH大学病院救急部へ。
レントゲン・・・やっぱり、折れてました。
右、腓骨単純骨折。
脛の裏、細い方の骨、すっぱり折れて、ひざ下までのギプスを巻かれました。
先生「近頃は怪我で入院、休業とかすると、失業の原因にさせられるおそれがありますから、入院はさせません。落ち着いたら、仕事してもらっていいですよ。体重かけないで両松葉杖が一番安定です。何もなければひと月後また見せに来てください・・・。」
骨ができてきて、つながるのを待つ、ということか。
そうはいっても左足もCIDPにより弱っている。両腕で松葉杖ついても片足で踏ん張って立ち上がれない。家に帰って練習しようにも、不安定で立ち上がってトイレまで杖ついて廊下歩けない。キャスター付チェアーで、右足浮かし、装具つけた左足と手で壁押して推進。骨折する前両足につけてた短下肢装具、うっとうしいと思っていたが、ギプスはもっとうっとうしい。(下図参照)
「ト、トイレ!」
慣れないうちは大慌てであった。
トイレ内洗面台・カウンターにしがみつき立ち上がり、ズボン上げ下ろし。
シャワ-付洋式で良かった・・・
・・・下肢(上肢)障害のある者にとってトイレ、入浴は一大事。経験はないが、和式のトイレだったら?公衆では無理であるが、家では、尻ついて移動していき、下半身衣服脱着した後、手をついて便器に移動、用を足せばよい、というのだ。
そんなの、当然、と、ことも無げにこなしている先輩は笑って読み飛ばしてください。
(外で障害を持つ者は気軽にトイレ、食事・・・できない。なんちゃってバリアフリ-が多すぎる。障害者自立支援法ができて何年?そして、改正(?)私は未だ恵まれている。 難病患者も、、まじめに考えるほど、日本は後進国)
「おれの行く手を阻む奴は誰だ?そこにいるのか?」痛みと悪夢と鎮痛剤のくり返しはそれほど続かずに済みました。
一か月後、折れた足変化なし、折れたままで体重かけられず、体重の3分の1の加重をかける平行棒の間でのリハビリ、骨折7週間後の6月26日に始まりましたが、復職についても含め・・・次回に続く!
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