昭和50年代のおもひでぼろぼろ~国鉄赤羽線(赤羽ー池袋)にて [日記 思いつきメモ]
ご無沙汰しました。
感動的な、都会の女子と山形の好青年の、昭和な恋愛アニメ(好きな映画だけど)関係はありません。
「ぼろぼろ」ですよ。
国鉄赤羽線(赤羽ー池袋)は現・JR埼京線の一部となってます。
赤羽-十条-板橋-池袋 4駅を往復していた頃のことでございます。
東北・上越新幹線も開通しておらず、群馬、栃木、埼玉から、池袋・新宿・渋谷方面:副都心へ向かうには、
京浜東北、東北本線、高崎線から赤羽駅で赤羽線に乗り換える必要がありました。
朝の7:30-8:30、 赤羽駅・赤羽線、殺人的ラッシュでした。
山手線内回り池袋→新宿→渋谷と混雑度全国ワースト3を争う路線だった時期もあったように思います。
で、
乗り換えの合い間に・・・赤羽駅赤羽線地上、5番線ホームには、赤食というスタンドがあって、
後ろのサングラスがワタシ、ではナイ。 多くの皆さん、白(牛乳)に中村屋肉まん! ほかほかあつあつ、おいしそうだなー冷たい牛乳、合いそうだなあ。。小遣い無いや・・・
赤羽駅以外赤食のように新宿中村屋肉まん(あんまん)ほとんど専門の駅ミルクスタンド知らなかったなあ。新宿駅にはあったんだろうか?
東京で 今やコンビニ、セブンイレブンで冬買えますが、当時街の食料品店以外で蒸かしたて食べられる店は珍しかった。
友人に中村屋アンマン熱烈愛好家がいて昼メシにもアンマン2個、3個だけ買ってたやつがいて驚きましたが。
大阪(京都駅でも買ったな)は、551蓬莱のしっかり、おいしい、豚まんぶたまん、駅で気軽に買え、好きでした が、しばらく食べてないな。
こうやって、乗換時でもしっかり食べるのはいいことだ、が、朝食、食べないで・・・
自宅から赤羽駅まで自転車ダッシュ→京浜東北高架沿いに駐輪し、→南口までダッシュ→改札階段上りダッシュ→赤羽線5番ホームへ下りダッシュ→開いてる車両ドアへ、ダッシュ!セーフ!・・・ と思ったらまだ、後からどんどんぎゅうぎゅう、乗ってくる~
と、目の前が真っ黄色に!?「す、ス、す、すみません、気持ち悪くなった」
周囲の人、降ろしてくれるのかと思ったら、ドア閉まりかけてる(101系、103系は、えいや、と窓開けられるからね)・・・席を譲ってくれる人がいて、窓を開けてくれ 、
池袋までの3駅約8分で回復しましたよ。 降りるとき、名も知らぬ周りの皆様に 「良くなりましたありがとうございました!」
皆何事も無かったかのように、降り、乗り換え遅れないように、いつもの様に、ホームに、階段に、いつものラッシュ・雑踏へ。
ああ、もうはずかしいなあ、あの時の方、有り難うございました、まだ、憶えてますよ。
なのに、また、別の日、ドジおまぬけな一瞬の出来事でした。
「間もなく終点池袋、お出口左側、山手線、内回り、高田馬場、新宿、渋谷、品川方面階段降りまして2番線、山手線、内回り、田端、上野、東京方面降りましたホーム反対側3番線、東武東上線、西武池袋線、営団地下鉄丸ノ内線、有楽町線、お乗換です。丸ノ内線、中央の階段を、有楽町線、前の方、目白寄りの階段をご利用ください。ご乗車お疲れ様でした、間もなく終点池袋に到着です。」
(だいたいこんな車内アナウンス。 「皆様のおかげで今日も無事池袋に到着・・・」などと言う赤羽線名物車掌さんもいたなー)
で、ホームへ進入、到着、ドア開きーの、どっと、客、降りーの・・・
「えっっ・・・」
踏み外し、車両口とホームの隙間に片足ひざ下までハマった 。
近くにいたおじさん、あわてて引っ張り上げてくれた。 うしろからどんどん降りてくる人たちに踏まれたり、連鎖転倒、けが人無くて済んだ(自分は向こう脛すりむいたけど)。
「ありがとうございました!、、、・・・」
最近、ちょっと前、もっと深くハマったひと乗客大勢が協力し車両を傾け助け出したなんて出来事もありましたね。
なんかしまらない思い出話でした。
サブブログではブログ未発表だったアリスや妖怪絵など数点絵、またアップしてます。 ⇓
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