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こころの病(といっていいのか?)に落ち込む [健康 CIDP闘病 リハビリ など]

まだ、それ程見た目には体の不自由が無い時期であった。心にどれ程のストレスがあったのだろう。うつになったひとは周囲の無理解でよく、「怠け心があるからだ。」「自己管理ができてない。」「まじめすぎる。」「根性が足りない。」いろいろ言われ自分をますます責めてしまう。そんなのつまらないです。あまり重い症状とはいえない私のじたばたしている様をまあ、見てやってください。

既に走れなくなって3-4年経過、短下肢装具を付けないと立っていられず、杖は必要無かった。面倒で、柔軟な動きがとりにくい装具をいつも付け、装具を付けたまま履ける靴を捜し、買い替えなければならなかった。今はムーンスター(月星)の良い靴にたどりついているが、当初、合わせたはずなのに履いてすぐ合わず、何足も無駄にした。当時の装具師も療法士も知識がないのか、扱えないのか何の情報も得られなかった。その意味でその時、自分という患者が一番何を困っているのか、解決できるのは自分だけ、という思いが強くなり、人の苦労も知らず車いすの患者さんさえうらやましく思えた。中心性網膜脈絡症という中年以降の男性に多い、視野の中心が歪んだり、見えにくくなる目の病気も併発した。タイミングは悪く重なる、今思えば自分が招いていた負のスパイラルにハマってしまっていた。仕事も変わった時期で、新しく、慣れないことが多すぎた。当時の担当医は神経内科外来診察時に、私の「月一の診察を減らせないか。」とか「プレドニン(ステロイド内服薬)をもっと減らせないか」、あるいは「勝手に減らしてみた」とか、その他言動にいつもと違うものを感じたのかも知れない。「気持ち的に苦しくなったら、精神神経科に連れて行ってあげる。」などと言われた。そういわれた前後1-2か月で急速に具合が悪くなった。

・パソコンに向かってさんざん考え込み、忙しいのに何もはかどらない。

・人気の無い部屋に行かないと落ち着かず、かといって、仕事もできず、ぼーっとしている。

・鍵を閉めた部屋を閉めたかどうか、忘れ、心配になり、引き返すことたびたび。

・なんだか、悲しくなる。

・怒りっぽく、物を投げつけたくなったり、投げたりする。

・変な音が、耳鳴りが、鼓動が気になって眠れない。

・見えない人、いるはずのない人をちらっと見かける。

・昼間やたら眠い。

・寝たまま腕も動かしたくない、動かせない。

・周囲が妙に明るかったり、陰気に感じられる。

・物が勝手に移動したり、無くなる。

 

 ・ 具体的にどうすれば死ねるか検討始める。 

 

暑い時期、出張の途中、居ても立ってもいられないような、胸苦しさと、もの悲しさを山手線乗車中に感じ、主治医に連絡。タクシーで神経内科外来へ。診察室から看護師さんに連れられ精神神経科外来へ。問診票のチェックの後、診察。再度、同じようなテスト。

「典型的なうつ病です。」

「薬で治りますよ、薬は慣れるまで我慢して、気持ち悪くなるかもしれない。」

デプロメール、胃薬もさらに処方されたかもしれない。

気持ち悪い吐き気、でも、なんとかして助けてくれ、という感じ、1週間は続いた。

それから更に1週間後、家族が近所の蕎麦屋に連れ出してくれる。気分は曇り空、でも、食べられてる。

更に1週間後、お好み焼き屋へ。酒は止められたので飲めないが、自分で焼いたりしたくなり、その時だけ気分が晴れる。

1か月後、ファミレスで食事後、店外へ出たとき、曇り空の雲の間から光がさし、その晴れ間がどんどん広がっていくような光景が頭の中に浮かぶ。「ああ、もう、治っていくかもしれない。大丈夫かも。」そう感じた。

加速度的に良くなり、半年のうちに薬を減量、1年でゼロに。精神神経科外来通院も終了。

眠れないとも言ったが、睡眠薬は使ったか?

レンドルミン 神経生検バイオプシーの術後の痛みがあるとき病棟で使い、有効、有難かったが、今回は使わず。

ハルシオン 使ったら、夜中トイレに行きたくなり、立った時、ふらつき、竹中直人の芸のように(知らない?)、体全体、全面で前にバターンと倒れた。手が出なかった。以後使うのやめた。

その後、しばらくうつ症状は現れないと思っていたら、数年後また、

・仕事が変わり、環境の変化があった。

CIDPの症状、後遺症が重くなった。

CIDPの症状の増悪期、治療時にやたら不機嫌となりだした。

・物忘れが気になりだした。

・以上のことも含め仕事に忘れ、能率低下、ミスが多くなった、不安が多くなった。

また、神経内科を通して、精神神経科外来へ。

以前デプロメールが効いた話もして、同様な治療で治まると思った。

飲んでる薬のチェックをし損ねていた。

飲み始め1週間、気持ち悪くもならず、やや、気分は明るかったが、会議で思い切り滑舌悪く、もつれ、舌がひきつった。「ずいぶん調子悪くない?」と心配された。

手の震えを抑えようと飲んでいたセルシンとの飲み合わせの悪さだった。

使おうとするとき、意識して動かそうとするとき、起きる手の震えに一番効果的だったのはインデラルであったが、「心臓も止めかねないので止めましょう」と、ある入院中の担当医は恐ろしくも、正直な意見・判断をされ、止めになった。

代わりにと、リボトリールを飲んだが、眠くなるばかりで仕事にならず、手の震えの効果は曖昧で1か月程で止めた。

次いで、セルシンはどうか、手の震えへの効果があるような、弱いような、と思っていた矢先に抗うつ薬も飲み始め、このような飲み合わせの悪さがでたので、精神神経科医師の判断でセルシンを止めた。

その後、しばらく、1か月はデプロメールを飲み続けたが、

「全然良くならないよ!」と怒鳴り、先生をあわてさせた。

以前効いた薬で効くことが多いが効かなくなることも多い、新しい薬もいろいろあるから試してみませんかということだった。

以前も言われたが薬じゃなくてカウンセリングとか催眠療法とか無いんですか?と聞いたら、

「催眠療法はこの場合効かないと思う。」

以後、

パキシル、ジェイゾロフト(以上SSRI)、トレドミン(SNRI)、ルジオミール(四環系)、

デジレル(SARI)、

症状なのか、薬の影響なのか、既視感、妄想、幻覚、幻聴、悪夢、夢と現実のごちゃまぜ、

一つの薬についてそれぞれ1-2週間は続けたものの、飲まない時より「ヘン」。

「良くならないよ!」が、続いたのだが、困りつつも淡々としていた家族のおかげで、在宅のまま療養は続いた。入院した方がいいんじゃないかと親は心配し、かえっていらいらさせられたが、こうなったら意地でも直してやると、怒りながらも冷静になっていた。この性格が治りを悪くしていたような、気もしますが。

「このままの状態? なんかこう、もっと、どうにかすると良くならないか?」

「認知行動療法っていうのがありますけどね。」

薬を替えている終盤尋ねたら言われた。説明は、次回以降と言われ、やるとも、やらないとも決めないまま、帰宅。何の事だかよくわからなく、先走って、Amazonで新しく、かついちばんうすっぺらそうな大野裕先生の本「こころが晴れるノート―うつと不安の認知療法自習帳」購入。

この行動を起こしている自分は既に重い症状ではないことに気付かされ、次回の外来から雑ながら、自作の療法シートをつくり、持っていくことにした。性格に合ったのか、回増すごとに多少波あれど変化、作業自体で良くなっていくことがわかった。

双極性のうつに効く薬が効果的かもしれない…

リーマス(気分安定薬、抗躁、抗躁うつ(双極性うつ))開始。

 

認知行動療法は薬物療法を否定するものではない。 上記の本巻末にも併用でよい効果が出る場合があると記されている。 

今までで一番効いている、落ち着いて、他の人からみて、「全然悪そうに見えない。」

認知行動療法開始から2年でリーマスもゼロとなって、定期的通院も無しとなっている。

以上です。やはり、当時のメモ、記録は症状のせいか不正確で、認知行動療法ノートでさえ、?が多く公表は控えたい。薬の量、順序も不明確で、個々人違う症状でしょうから患者さんも不安、混乱、困ってしまうでしょうから、記しません。

幸い、うつ、としては、重いものではなかったかもしれない。辛い症状を脱することができないでいる方の関心事からはそれて申し訳ないのだが、重い症状でないからトリアージのように後回し、放置の不安にさらされたり、本人がコミュニケーションが取れれば起きない不安に取り囲まれているのが、病気、障害、初心者ではないか、少しでも語れる人間の立場では、こうなんです、こういう場合もあるんです、ということで、記しました。


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